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北海道開拓民に迫る人食い羆(ヒグマ)-史上最悪の獣害事件「三毛別羆事件」-後編

前編はこちらから⇒北海道開拓民に迫る人食い羆(ヒグマ)-史上最悪の獣害事件「三毛別羆事件」-前編

通夜にあらわれた巨大ヒグマ

母親の遺体が発見されたその夜、被害に遭った家では母子ふたりの通夜が営まれた。ヒグマの習性として、獲物に対する執着心が強く、獲物のそばを離れないため村人は銃やナタなどを手に警戒した状態で通夜に参列せざるを得なかった。

通夜振る舞いが行われていた時、突如として家の壁が壊されてヒグマが現れた。林の中に残しておいた獲物である母親の遺体を奪われたため、匂いを辿り通夜が行われている家まで奪い返しにヒグマがやってきた。

ヒグマは屋内に踏み込むと棺を蹴散らし、鋭い爪を備えた前足を振りかざした。するとランプの明かりが消えて室内は真っ暗になり人々はヒグマに立ち向かうどころか逃げ惑うことしかできなかった。

ようやく銃をもった村人が発砲したがヒグマを仕留めることはできず、銃声に驚いたヒグマは夜の闇に消えていった。獲物を奪われてさらに狂暴になっていたヒグマは、数分後には数百メートル離れた民家に姿を現すと、そこにいた女性や子供10人に襲いかかった。

この家では合わせて6人があっという間に命を奪われた。中には腹を裂かれて胎児もろとも命を絶たれた身重の女性もいた。室内にはヒグマが人の骨をかみ砕く不気味な音が響き渡ったという。

こうしてわずか2日のうちに8人の村人が犠牲になったのである。その後も討伐体の前に何度も姿を現したヒグマは最初の襲撃から6日後、伝説のマタギとして知られた山本兵吉によってようやく仕留められた。

伝説のマタギた山本兵吉とは?

若い頃に鯖裂き包丁一本でヒグマを倒し「サバサキの兄(あにい)」と異名を持つ人物で、軍帽と日露戦争の戦利品であるロシア製ライフルを手に数々のヒグマを仕留めたという評判の高いマタギであり、山本兵吉が事件のことをいち早く知っていればここまでの悲劇にならなかったのではないかと悔やまれた。

山本兵吉は酒を飲むと荒っぽくなるということもあったようだが、普段は面倒見がよくて優しい人物と言われている。

巨大ヒグマの身長は2.7メートル

ヒグマはオスで身長は2.7メートル。重さは340kgにもおよぶ。人間の倍近い身長の巨大ヒグマの凶行は、この一頭のヒグマのために600人もの討伐隊と60丁の鉄砲が集められたという事実とともに当時の新聞でも報じられ、北海道に暮らす人々を恐怖に陥れた。

かつて凄惨な獣害事件が起きたほど近くにある三渓神社には「熊害慰霊碑」が建てられ、狂暴なヒグマによって命を絶たれた開拓民たちの名前が刻まれている。この慰霊碑は「犠牲者1人につき、10頭のヒグマを仕留める」と誓い、実際に成し遂げたヒグマ撃ちの大川春義氏によって建てられた。



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