日本中央の碑

東国に日本の中心が存在した?青森に佇む「日本中央の碑」

青森県上北郡東北町は、本州の北の果て、下北半島の付け根のあたらいに位置するのだが、この町には「日本中央」と刻まれた古碑が存在する。
石碑の高さは約1.5メートル、横幅は70センチほどの丸みをおびた自然石で、現在は東北町の「日本中央の碑保存館」に展示されている。文字は石の中央に大きく「日本中央」と刻まれているのだが、摩耗が酷く、読み取るのが困難になっている。

坂上田村麻呂が彫った!?

この日本中央の碑ですが12世紀に書かれた書物にもすでにこの石についての記述が残っています。「陸奥の奥に『つぼのいしぶみ』がある。日本の果てといわれている。坂上田村麻呂将軍が蝦夷を征伐したおり、弓の筈(はず)で石の面に『日本の中央』と書きつけたので、石文といわれるようになったと伝えられる。」


この「伝説のいしぶみ」が発見されたのは戦後1949年6月のことで、現在日本中央の碑が保存されている保存館から少し離れた赤川の渓流であった。現在では「いしぶみ」が発見された場所には目印として標柱が立てられている。

なぜ東北の地が日本中央なのか?

この石碑の最大の謎はなぜ東北の地が「日本中央」であるかということである。可能性としては「日本」という言葉にはそもそも「日の本=日の昇るところ」という意味があり、「東国」という意味合いがある。つまり、大和からみた東国こそが「日本」であり、大和朝廷が近畿地方を支配する前、列島を支配していた国の名前が「日本」だったとすれば、大和朝廷が勢力を広げるに従って徐々に追い詰められ、最終的に行き着いたのが青森の地だったのではないだろうか。




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